「堕胎疑惑」!恐ろしい秘密が!上皇陛下が動いた!

紀子さま「堕胎疑惑」の真相を裏付ける川嶋家の“御所怒鳴り込み事件”昭和天皇を恫喝した辰彦教授のおぞましさ
紀子さま堕胎事件の真相
前回の記事では、紀子さまが、秋篠宮殿下と結婚される以前に、二人の子どもを堕胎したという噂について紹介しましたが、今回は、前回紹介した堕胎に関する噂の真実の裏付けとも言える、ある事件について解説したいと思います。
前回の記事では、紀子さまの堕胎に関して、主に、噂話や、憶測などを中心に紹介しました。先の動画をご覧になられた方の中には、「まさか、紀子さまが堕胎をしたなどあり得ないだろう」と思った方もいるのではないかと思いますが、以下の説明を聞けばそうした考えも変わるかもしれません。
今回紹介するのは、紀子さまの父親である故川嶋辰彦教授が、御所へ乗り込み、秋篠宮殿下と上皇陛下を恫喝し、紀子さまとの結婚を迫ったという前代未聞のとんでもない事件についてです。
川嶋教授の“御所怒鳴り込み事件”に関しては、紀子さまとの結婚前後に、女遊びの絶えなかった秋篠宮殿下を責め立てたということ、それから、もう一つ、結婚前に、秋篠宮殿下と紀子さまの結婚を認めるよう、上皇陛下に迫ったという、主に、この二つの話が語られています。
一つ目に関しては、タイの愛人との面会や、タイでソープランドを見学をされたといったことが、週刊誌等でも盛んに報じられました。特にこの秋篠宮殿下のソープランド見学に関しては、「女性セブン」(1996年9月3日号)の記事に詳しく解説されています。
ささやかな軽井沢の休日。だが帰京後の秋篠宮家に思わぬ騒ぎが待っていた。秋篠宮さまがタイ訪問の折、ソープランドを社会見学したという冒険談がある男性週刊誌に報道されたのだ。
学習院大学の学生時代から何回もタイを訪問されている秋篠宮さま。この“冒険”は89年、23才のときのことだという。場所はタイ北部の町ピサヌローク。秋篠宮さまはここで『行方不明』になったが、行った先がソープランドだったことが発覚したというのだ。(中略)
話の出所は、秋篠宮さまの通訳でもあり友人でもあるバンコク在住のソムチャイ・コシタポン氏だという。
同氏は日本の上智大学を卒業したタイのエリート。
秋篠宮さまの初めての訪タイ(85年)にガイドを務めて以来宮さまの信頼を得て、訪タイのときは必ず行動を共にしている。
「ソープランドのことは殿下が羽を伸ばせるのは、宿泊ホテルの中くらいしかないという例として、オフレコで話したことなんです。が、記事になってしまって困っています」
と当惑しながら、実態をくわしく話してくれた。
「室内に落ち着かれて、備えつけの館内案内のパンフを殿下と見ておりましたら、地下1階にディスコとソープランドがあることを知りました。殿下もまだお若いときですし、私が“ディスコやソープランドがありますね、社会勉強にごらんになりますか?”とおたずねすると、“ああ、見てみたいね”と気軽におっしゃって」
自分が明仁だったら、川島の身辺調査を徹底的にさせて、同時に学習院大学と談判してキコから礼宮を引き剥がし、川島は退職ににさせる。
そもそも皇室付きの弁護士がいるだろうに、なぜ専門家に対処させないんだ。
こんなチンピラ川島の上げ下げ恫喝に飲み込まれるなんて、情けない。
侍従達のアドバイスを聞かないで、自己判断したのであろう。
アホな経営者が破滅するパターンだ。
ま、明仁は美智子に惚れ込んでのぼせ上がって昭和帝を恫喝したアホ皇太子だしね。
昭和帝が存命の頃は質素堅実だったので、美智子も懐柔されると甘く見たのかもしれないけど。
ちなみに明仁の学生時代のあだ名は エロ です。
悲しい。
これと同じく、川島教授が同和研究に入れ込んでいて、ゼミ生を特殊部落見学などに連れて行った話も忘れてはなりません。
この夫婦の馴れそめは、同和問題研究会で知り合ったとされており、宮内庁が通常の追っ払い手段では紀子との悪因縁を断ち切れなかったのは、そういうことが背景にあって、結婚を認めなければ差別があったものとみなす、との通告めいたものがなされたがゆえに、紀子への七代遡る宮内庁伝統の家系調査も一切なされぬまま、バラック娘を嫁にする大醜態を認めてしまったとみられます。
案の定、夫婦は結婚直後から喧嘩の絶えない関係であり、宮邸の外にまでどなり合う声が聞こえるありさまで、週刊誌も報じていました。もし実際はAZ家の次男だとしても、バラック出生の嫁とは釣り合うわけがなく、まして皇族の仮面をかぶらされていては、著しい身分差となります。
秋篠宮家の不協和音は、こうして最初から浮気の絶えない男であるにも関わらず、川島教授自身が自分を”解放”したいがあまり、娘と共謀して、とんでもない”雲の階段”へと足をかけたことに原因があり、ふわふわと浮かぶだけの実態のない偽宮家では、寄りかかれる柱一本ないわけで、眞子も反社の手に落ち、悠仁も裏口入学強行で世論から酷評される総崩れ状態となっていったのでしょう。
悠仁の偽装受験には唖然です。
もし入試答案に手を加えたり、採点で加点すれば、犯罪です。兵庫県の農業高校で、入試のマークシートを校長らがあとから書き直した例があって、有罪判決がでています。
逆に、堂々と不合格にできれば、筑波あっぱれになるでしょうね。学習院大も留年を嫌がる明仁と佳子を大学から事実上追い払っていましたので、筑波にも見習って欲しいものです。
この話はお二人がご結婚された後かなり早い段階で耳にしました。普段皇室などに全く興味のない主人の口から聞いたので(恐らく飲み会などで聞いてきたんだと思います。)驚きました。
紀子さんのお父上のやり方がもし本当だったらば、同和問題に取り組むうちにその手のやり方が身についてしまわれたのかもしれない、と思ってしまいました。
結婚させてくれないならB差別だ!と騒ぎ立て、相手の両親にハラスメントを仕掛けるのは典型的なBの生態ですね。西日本の親ならば、一番怖れる悪夢です。
妊娠もさせられた、お前の倅のせいでうちの娘は疵物だ、どうしてくれる、と大声を張り上げる。
これだから左翼は嫌われるわけで、そこまで背伸びして娘をK室に押し込んだものの、できた印籠息子は学習院からまで門前払いされる低能でしたけどね。
裏口入学はじめ、NYの娘の夫への超法規的措置ばかり要求するのも、最初の結婚自体、超法規的措置だったので、いわゆる規格外K族の宿命というべきかも。
K族の仮面を被ったB女ではお世話を命じられた周囲も大変です。
最近もコーシになった際の祝宴に久子さまが御公務のため出席なさられなかったことに立腹した宮卑が
「久子でてこい。再教育してやる」と高円宮邸のドアを足で蹴りまくった事件が起きていたそうです。
「再教育」とはいささか穏やかならぬ、部落解放同盟や北朝鮮では好んで使われる用語です。
一体宮卑のもつ「何」を久子さまに「再教育」しようというのでしょうかね。
宮卑の育った静岡のバラックでは、「再教育」という言葉が家族内でも日常的にバンバン飛び交うような特殊環境だったことが窺えるエピです。
だからこそ、こんな言葉を本物の御皇族にむけて放つことが、どれほど嘲笑われる愚行かすら宮卑本人にはわからないのでしょう。
お育ち、御出自を示す宮卑の「再教育」発言。
人間、生まれを隠し通すことは至難の業なのだと教えられましたよ。
秋篠宮と紀子妃の婚約会見はリアルタイムで見ていました。当時から紀子のべちゃ~とした話し方は見ていて非常に不愉快でした。いわゆる「ブリッコ」ですね。女性から嫌われる女でした。
また、結婚当時、カワタツ氏は「子供は親の作品である」と発言しており、これまでにもいろいろと報道されてきた紀子と舟の姉弟。父親の手のひらの上で転がされるだけの駒だったんだな~と、今となっては思わずにはいられません。
 

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