悠仁さまから 泣き言。。。 悠仁悲鳴の嵐

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筑波大学附属高等学校に合格された、秋篠宮家の長男・悠仁さま。’21年度には29人もの東大合格者を輩出した都内有数の進学校に、春から通われることになる。
悠仁さまはお茶の水女子と筑波、両大学の附属校の間で’17年にスタートした「提携校進学制度」を利用されたという。悠仁さまのために作られた制度ではないかとの指摘もあるが、秋篠宮家の側近の皇嗣職大夫、筑波大学の学長もそういった見方を否定している。
一方で、悠仁さまの合格と同時に明らかとなったのが“作文問題”だった。北九州市立文学館が主催する「子どもノンフィクション文学賞」の佳作を受賞した悠仁さまの作文に、書籍などからの無断転載があったことが発覚したのだ。
日本のテレビや新聞は控えめにしか報じなかったが、海外メディアは大きく取り上げている。イギリスの新聞『デイリー・テレグラフ』の電子版は「盗作問題にもかかわらず15歳のプリンスは文学賞を保持・未来の天皇が旅行雑誌の文章をコピーして夏休みの作文コンクールを受賞」との見出しで、問題の経緯を詳しく報じた。
「中学生の作文とはいえ、著作権侵害であることは明らかです。生物学に関心があるという悠仁さまですが、研究者を目指されるのであればなおさら注意すべきことのはずです」(皇室担当記者)
皇嗣職大夫は「悠仁さまは指摘に感謝されている」と説明しているが、受賞の取り消しはないという。
2月23日の誕生日に際して天皇陛下は会見で、学問との向き合い方について次のように語られている。
「鎌倉時代の花園天皇が皇太子量仁(かずひと)親王に宛てて書き残された、いわゆる『誡太子書(かいたいしのしょ)』においては、まず徳を積むことの大切さを説かれ、そのためには道義や礼儀も含めた意味での学問をしなければならないと説いておられます」
この記事皆さんはどう思われましたか。ではこのニュースを見た人々の反応を見ていきましょう。
対処するなら、できるだけ早い方が良いでしょう。「悠仁さまは指摘に感謝されている」との説明から、そのつぎが問われています。訂正や取り下げ、辞退など、なんらかの対応を見せないと、「黙殺」したと思われかねません。口先だけではなく、具体的なおこないによって、誠実さを見せる、むずかしいことではあります。こう書いている立場で、果たして、どこまで真摯にできるのか、こころもとない。「過ちては改むるに憚ること勿れ」とのことばが、中国の古典「論語」にあります。まちがえたら、あらためることにためらってはならない。この記事を読むさいも、コメントするにあたっても、あらためて肝に銘じたいところです。
記事の最後に登場する『誡太子書』とは、鎌倉幕府が滅亡する3年前に、花園太上天皇が自分の甥にあたる皇太子に宛てた訓戒書。当時の天皇は後醍醐天皇で2度目の倒幕計画を練ろうとしていた。そのような中、花園太上天皇は「皇太子だからといっておごり高ぶるな。庶民に寄り添え。徳を積め」と諭した。皇太子は間もなく即位するが(光厳天皇)、直後に建武の新政が始まり、即位そのものが否定される事態になり出家。一方の後醍醐天皇は間もなく足利尊氏に追われ吉野に逃れる。花園太上天皇の遺志は、果たしてこの令和の世に届くのだろうか。
記事の見出しの海外にこの著作権問題が強く伝わっている点は無視できません。海外で著作権は主要条約、主要な民事法のみならず刑事法ですし、アメリカ経済の根幹法のひとつだからこそ、アメリカ憲法に著作権条項があります。日本の教育環境が大学の法学部からして、長年残念ながら著作権法をマイナーな扱いにしていて、また残念ながら日本の小中高も大学のカルチャー影響もあり、著作権教育に熱心とは必ずしも言えないでしょう。しかし、日本のソフト文化は、著作権法を大きな中心の一つとする世界の知的所有権法の体系下で、最も利益を受けてきており、日本自体がその分野でルースで、いちばん損をしてるのが日本自身だと言えるというのはアメリカの一つの常識と化していると言えます。したがって、こうした緩さは、生き馬の目を抜くアメリカやヨーロッパの著作権法の理解と経済競争から、日本全体の国際経済競争力全体にマイナスの影響をもたらします。
私は、天皇陛下をはじめ皇室の方々を尊敬しております。その上で、今回の「作文引用」の問題は残念でなりません。作文引用といいながら、引用を明らかにしなければ、コピペということになります。将来の研究者を目指すのであれば、致命的なミスです。また、そもそもどれだけ本人が書いたのかどうかの疑問が残ります。作文コンクールに出品する場合、一般的に、中学校の国語科教師などのチェックが入るのは当たり前ですが、自宅にも素晴らしい家庭教師の方々がいるでしょうから、どこまで本人の原文が残っているかが疑問です。ほぼ書き換えられた可能性すらあります。その上で、もし「引用」の部分だけが本人の原文だったとしたら、本人の作文は全く残っていないことになります。主催者側から取り消しは申し出るわけにはいかないでしょうから、宮内庁や本人から受賞を辞退することが必要でしょう。それくらいの厳しさがなければ、研究者にはなれないと思います。
みんな試験を頑張って大学に受かってるのに、というコメント。その試験での一般入試が有名私大でも半分くらいしかないんだけど。半分は推薦とAOになってる。AOは習い事、海外留学、部活動、ボランティア、生徒会とかが評価されて、学力評価ではなく大学に受かってる。お金の力でというけど、今の大学のAOは海外留学が評価されることからも富裕層に有利になってる。AOは大学中退者とかがあとから受けるために使うなら分かるけど、現役でAOで受かってることばかりだし、富裕層の学力がない子供に有利になってる。
「引用」ならまだしも「盗用」でしょう。自分の文章の中に馴染ませようとしてもそこだけ光っています。だからと言って将来云々は言い過ぎでは?本人が今回のことをどう受け止めるか,多分これまでも学校の課題でもしてきたかも知れないことを今後どう改めていくか。周りも腫れ物に触るように接するのではだめだと思う。筑波大附属高の教育を受け,しっかり見ること・感じること・考えること・人の考えを傾聴すること・自分の考えと交流させることをしてほしい。遅きに失するかもしれないが,まだすれすれ間に合うかもしれない。日本国民としては間に合ってくれないと困る。
論文通れば良い、という風習は、まだあるけど厳しくなる一方ですよ。一般人より厳しい目を向けられるから、現実を知らないと、一気に状況が悪くなるかも。後払いで進んで行くのは一つの選択肢だけど、実力が伴っていなかたりすると、常に追い立てられて辛いかも知れません。日本国内は甘々でも、海外は厳しいです。結果的に、論文盗用なんてことになったら大変です。確信犯だろうが、知らずにやろうが、関係ないです。そういう常識は、正攻法で進まないと身に付かないかも知れませんね。
マイナーな学者・研究者の視点から申し上げます。確かに旧帝国大学へ進学する方は大学院まで進学し学位(博士)を取得される方は多いですが、学位取得者がすべて研究者の素質を持つとは考えられません。博士号までは過去の出来上がつた学問体系を理解し身に着けることで可能です。典型的には歴史などを新しい斬新なアイデアで整理することで新しい知見が得られるような研究です。これも確かに人間の持つ知的創造力の成果であり、学位に相当します。
しかし、理科系では過去の理論から何ら新しい成果は得られれません。足し算を掛け算に変えても結果は同じです。理系では高い偏差値だけでは通用しません。理系は論理的な世界です。
真の研究者は未知の新しい学術分野の開拓を行い、多くの研究者が新しい分野を耕して、学術的産物、人類の文明生活へより大きな利便性を与える創造に寄与する方です。
拠って、東大進学者は全て研究者になり得ません。

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