歴史的に確執が多く、現在も仲が良いとは言えない日本と中国。実際に中国では今も反日教育が行われており、日本のことが嫌いな中国人は少なくありません。しかし、 日本が嫌いだと思っている中国人には、意外と実際日本へ足を·運んだことがない人が多いんです。反日意識の高い中国人が実際に日本へ行ってどのように気持ちが変化していくのかがわかる、エピソードを紹介します。私は中国人。 生まれた時から中国にいて、育ってきたのも中国。とても裕福といえる暮らしはしてこなかったから、30歳を過ぎても海外旅行に行ったことはなくて、 ずっと中国の中にいたの。
中国では第二次世界大戦や、 それより前から中国が日本によって数々の被害を受けてきたことを教えられる。だから子どもたちは自然と日本が嫌いになるわ。だって、 私たちの祖国、 先祖にひどいことをした国なんですもの。そういうわけで、 私もずっと日本のとが嫌いだった。 たまにテレビで日本が良いことをしたニューースを聞いたり、日本がノーベル賞とかすごい賞を受賞した….そんなのを観るたびに 「何かずるいことをしたんじゃないの?」なんて思うくらいに。日本の話を聞くのはい気がしなかった。だけどそんな私がある日、 日本に引っ越さなければならなくなってしまったの。夫が日本にできる支社に転勤を言い渡されたから。それを始めに聞いた時、 私は耳を疑ったわ。
「···今、 なんて?もう一度言ってくれる?」なんて、 1回では意味を理解できないほど。私は行きたくなくて、 泣いてしまった。だって日本は冷たくて残酷で恐ろしい人ちだから。それに日本人も中国人のことが嫌いだから、肩身の狭い思いをすることになる。何より、 まだ7歳の娘が学校で日本人にいじめられるんじゃいかって、すごく不安になったの。だけど夫は日本に転勤したらいつ帰って来られるかもわからない。家族離れ離れで暮らすなんて考えられなかったから、 私は幼い娘を連れ、夫と一緒に日本に渡る決意をした。夫ももちろん反日教育を受けてきたので、日本へ行くことに不安はあったようだった。
だけどこれは出世だとも捉えられるから、一緒に前向きに頑張うと約束したの。大きな不安を抱えて降り立った日本。空港には日本人はもちろん、 たくさんの外国人がいたから、 少しだけ安心したのを覚えてるわ。だけど早速、 私たち家族の前に試練が立ちはだかった。私たちの暮らす家にどり着くには電車に乗らないと行けないのだけど、 どこから乗ったらいいかわからず迷ってしまったの。ところどころに英語や中国語で案内は書いてあるけど全てではないし、 何より空港が広くて路線もいっぱいあって、 何がなんだかさっぱり。私と夫はスマホで調べたり、地図を見たりして頑張ったけれど、結局1時間経ってもわからないまま。
こうなつたら人に尋ねるしかないと、夫が近くに座っていた20代くらいの若い男の子に英語で道を尋ねることに。英語で話しかけられて驚いた様子でイヤホンを外した彼は、 英語を理解できていないみたい。「あ、 日本人だ」 私はその時、 そう思ったわ。「そんなこと自分で考えろよ」 と怒られるか、「中国人は嫌いだ」 と無視されるか·· 。彼がこれからするであろう行動を予想して怖くなった私は、 夫の後ろで娘をぎゆっと抱きしめ目を瞑っていた。すると少し経ってからカタコトの英語が聞こえてきて。私が彼の方へ視線を向けると、 スマホの翻訳アプリを使いながら夫と会話していたの。日本人の彼はそれでやっと夫の質問を理解したのか笑顔になって、 「OK!」 と言って私たちを手招きしたわ。
少し不安を抱きながら彼の後を付いていくと、私たちが探し回っていた階よりも1階下がった場所にある電車の改札口へ。そして電光掲示板を見て 「13時36分に来る電車に乗って、 7つ目の駅で降りれば目的地にたどり着けます」 と、 またカタコトの英語教えてくれたの。私と夫が彼に感謝を何度も告げると、「OK、 OK!」 と何度も笑顔で言ってって行ったわ。そして私たちは日本人の彼のおかげで無事、目的地にたどり着くとができたってわけ。冷たくて残酷だと思っていた日本人が、言葉がわからないのにわざわざ翻訳機を使ってまで道案内をしてくれるなんて本当に驚いた。だけど、 彼が特別優しかっただけかもしれないし、私たちが中国人だと気づかなかったから親切にしてくれただけかもしれない。私はこの時点でまだまだ日本人を信用することができなかった。
日本での生活を始め、 数日。中国人の私たち家族に対し、 日本人は冷たい視線を向けてくるのではないだろうか。始めはそんな不安を持っていたけれど、次第にそれはなくなっていったの。なぜかって?日本人は他人に興味がないからよ。電車やバスでは中国のようにお喋りを楽しむ人はほとんどいないし、道路を歩いても誰かと目が合うこともない。嫌な思いをすることはなかったけれど、心が感じられないというか··残酷ではないとしても、 日本人はやっぱり冷たい人種なんだなと感じていたわ。それからさらに数日経って、 娘がインターナショナルスクールに通い始めたの。そこにはさまざまな国の子ども達が通っていて、もちろんその中には日本人も。日本に来る前から心配していた 「娘がいじめられないか」 という不安はこの時最高潮。
娘が家に帰ってくるまで落ち着かなくて、 1日中そわそわしてたわ。 娘が帰って来てすぐ玄関に出ていった私が感想を聞くと、 楽しかったと言うからー安心。隣の席になったアメリカ人の女の子と韓国人の女の子。 それから掃除当番が一緒だった韓国人の男の子とカナダ人の女の子とロシア人の男の子。初日にできたお友達はそれだけで、日本人の子がいるのはわかったけど、一言も会話をしなかったとか「そう、 お友達がたくさんできて良かったね」 と私は娘に言ったけど、 やっぱり日本人は中国人を避けているのかと不安になったわ。だけどその翌日、 日本人のお友達ができたと嬉しそうに話す娘。
トイレの場所がわからずうろうろしていたところへ日本人の女の子が来て、 一緒に来てくれて、今度一緒に遊ぶ約束もしたと喜んでいたの。それは私にとってもすごく嬉しい出来事だった。 日本人はやっぱり中国人のとが嫌いなわけではないのかな?でも、 子どもだからかもしれないし··私は生まれ育った中国で培われた反日感情と、日本に来てから見た日本人の優しさのハザマで、 どちらを信じていいのか頭がこんがらがってしまったの。だけどとりあえず、 嬉しそうにしている娘の姿が見られるのは嬉しくて、 深く考えずお喋りをしながら、 近所のマーケットへ娘を連れてお買い物.その時、 驚くべきことが私たちを襲ったの。 娘と手を繋いで歩道を歩いていると、 娘が道路の向こう側を見て 「日本のお友達がいる!」と言い始めたわ。
娘の視線を追いかけると、 そこには娘と同じくらいの背丈の女の子が歩いているのがわかった。すると次の瞬間、 娘の手が繋いでいた私の手からするりと抜け出して、 そのまま走って行ってしまったの。 私は急いで娘の名前を呼んだ。だけど日本人の友達に会えたのがそれほど嬉しいのか娘は聞く耳を持たず、 道路を渡って行こうとして。 その信号は点滅しているのに。私はまた娘の名前を呼んで追いかけたけど間に合わず、 血の気がさっと引いたと思った時。 娘の両肩を後ろから誰かが掴んで、 止めてくれたのよ。
この記事皆さんはどう思われましたか。ではこのニュースを見た人々の反応を見ていきましょう。
日本の優しさに気付いた事もそうなんだが、自国で反日教育している事に凄く疑問を抱いていただかないと
根底は何も変わらない。
勿論、日本人も色々いるが、日本を敬ってくれる外国の方には大半の人が親切に対応すると思います。
英語教師のじいさんハイスペックすぎるやろ。誰がいたとしても娘を止めるとは思うけど話通じるのは幸運やったな。
今回の事を聞き改めて他人には親切の心を持って接する優しさを常に持つべきだと痛感しました。有難う!
俺は40歳位から親友と外国に10ヶ国以上行っているけど日本の子供は凄く恵まれていると思ったまあそれに気付くには外から日本を見ると良く解る日本国内では当たり前でも外国人からすれば驚く程びっくりする事が沢山ある。
このおじいさんが親切すぎるだけで、人種国籍関係なく怒鳴られても仕方ないし、怒鳴っても感謝するべき、怒鳴ってたら日本人をますますきらいになってたのか。
日本人が他人に興味が無いとか冷たいとかは無いですよ
ただ、他の国よりも自己表現を抑える気質が有るのと、他人のプライベートを尊重してるから、日本人の方からは声を掛けることが少ないと云うだけです
これは、日本人同士でも同じで、他人への声掛けそのものが他人を不快にさせないかと遠慮しているだけの行為です
その受動的な心配りが、能動的な国の人からは人見知りで冷たいとかんじられるのかも知れませんが……
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