こんにちは。今回のテーマは ? 美智子さまは愛子さまを抱きしめて言う「あなたのお母さんは弱い人なの。お母さんみたいになっちゃだめよ~」。美智子さまの悪象徴…愛子さまに雅子さまの悪口を吹き込む 東宮職の側から見れば、また違った見解も聞けるかもしれないが、 「嫁姑合戦」 といっても美智子さまが一方的に雅子さまに絡んでいただけのように私には見えた。
もちろん嫁姑合戦というのは、当事者にしか解り得ない難しい問題も含まれいるのかもしれないが。 美智子さまが定期的に開かれていたお茶会が元凶となって、雅子さまイジメが加速していったことは既に当ブログで何度も論じた。 雅子さまの「醜聞』 を酒の肴にして、取り巻きたちに悪口を言わせて悦に浸っていた。 そしてこの悪口は愛子さまにまで及んでいた。孫の悪口を楽しまれるなど驚くべきだ。
だが、 取り巻きA「皇后陛下、愛子さまと雅子さまの精神状態がシンクロしているなんて書かれていますよ…」とのお言葉に、 美智子さま「愛子には雅子の血が入っていますからね…..」などと言葉は裏腹にニコニコとお答えになっていたものだ。 当時の週刊誌では「愛子さまが発達障害ではないか?」と匂わす記事が多かったが、 これすらも喜び「雅子さんが悪い」と言い放てる美智子さまのパワーはすごい。
シワシワの服に大喜び 私が記憶に残っているイジメの一つに、雅子さまにアイロンがけしていない衣装をあえて着させたといったものがある。 百聞は一見に如かず。 見ていただこう。これは2013年のオランダ国王の即位式の際の写真だ。 雅子さまのドレスにだけ深い皺が刻まれているのが解る。 常識的に考えて、低温アイロンでしわを伸ばしてからお召しになるのが当たり前だ。
このシワの刻まれた雅子さまが日本で報道されるや美智子さまは「雅子さんには、皺くちゃの服がお似合いね』と静かに語ったその直後、「気品がない!』 「常識知らず!」と大声を出され喜ばれた (豹変ぶりに大変驚いた) 取り巻きの方々は 「日本の恥ですね!」などと忖度して美智子さまの歓心を買っていた。なぜこのような晴れ舞台に「シワ入りドレス」をお召しになっていたのか?
どうしてお付きの者はシワをのばさなかったのか?その回答はシンプルだ、 美智子さまと雅子さまは内廷皇族であるから、 同じ衣装係が服装の準備を担当していた。どういうわけかこの衣装係が、 美智子さまの“ご指示”を受けて公務の際には全く機能しておらずシワを伸ばさないまま雅子さまに着させるという暴挙に至ったのだ。(この職員は帰国後に東宮職より苦情が来て別部署に異動となった。
その後、しばらくしてから美智子さま付きの職員に“大抜擢”された) 当時は何も知らずこのドレスは見てビックリしました。 雅子様や当時の皇太子殿下はどのようなお気持ちだったのでしょう。
日本国内の問題だけでなく対外的にも由々しき問題ですよね。それから暫くして、美智子さんが意地悪をしてこのようなしわくちゃなドレスを着させたと聞きましたが、当時はまさかと思いましたが、 今ならなるほどと思い、 それ以上の底意地悪さを発揮していたと思います。
2。愛子さまに雅子さまの悪口を吹き込む 雅子さまが長年適応障害で苦しまれてきたことは周知の事実だ。 しかし事実だとしても、言って「よいこと」と「わるいこと」の分別くらいつくものだ。 ましてそれを愛子さまに吹き込むだろうか?平成という時代を通じて、天皇家と秋篠宮家は親密だった。
秋篠宮ご夫妻のみならず、眞子さま、佳子さま、悠仁さまも、公式・非公式を問わず、 頻繁に皇居に訪れていた。しかしその一方、天皇家と東宮家には溝があった。 「皇太子」という重い立場を鑑みれば、秋篠宮家よりも皇居への出入りが多くて然りのはずである。 だが、 適応障害で苦しまれていた雅子さまのみならず、 皇太子殿下までも皇居にいらっしゃるのは必要最低限であり、 ご両親との間には深い溝があった。この溝の深さを象徴するのは、皇太子殿下の 「人格否定発言」だ。 雅子さまの人格やキャリアを否定するような動きがあるこの衝撃的な発言は、 ご両親である天皇皇后両陛下に相談されることなく発せられた。 メディアは犯人捜しをすぐに始めた。
あわてて天皇陛下は文章を発表し、 (火消しのため) その真意を明らかにするよう殿下を促した。 しかし冷静に考えれば、 「ご両親に相談できなかった」という事実は、そこにこそ人格否定発言の原因があると告白しているようなものだ。 端的に回答を言えば、 美智子さまが雅子さまの人格を否定されていたのだ。 「石女」だの「無銭飲食女」だのと雅子さまの悪口を酒の肴にして、毎週のようにお茶会が開かれていた。このような平成皇室の異様さ、言い換えれば「陰口体質」の酷さを考慮すれば、皇太子殿下が頑なに皇居にいらっしゃらなかった理由は明白であろう。
そう、これは雅子さまを守るための無言の抗議なのであろう。 美智子さまは雅子さまを一方的に毛嫌いされていたが、あまりにも酷いものがあった。愛子さまが小学校に進学される少し前の事に起きたことを紹介したい。愛子さまの進学を記念して、皇太子ご一家は挨拶のために皇居に訪れ、陛下と美智子さまを交え歓談となった。 歓談といってもどこか他人行儀でギクシャクした空気が流れているのだが…..。 途中、雅子さまが席を立ち化粧室に行かれたときに事件は起きた。 美智子さまは愛子さまを近くに抱き寄せると「あなたのお母さんは弱い人なの。 お母さんみたいになっちゃだめよ~」と仰った。その場の空気が凍った。 天皇陛下も皇太子殿下も何が起こったのか理解できず呆然とされていた。 お解りだろうか?
平成の時代、皇太子ご一家が皇居に行かなかったのは、愛子さまを守るためなのである。 いつぞやの会見で、上皇陛下が (当時天皇陛下)が、愛子さまと会う機会が少ないことを嘆いていたが、その原因は美智子さまにあると言わざるを得ない。普通の人間ならば、こんなイジメを受けていれば、 錯乱して最悪自殺に至ります。鬼姑はあちこちにいるかもしれないけど、官僚やマスコミを抱き込んで包囲網ですよ?
それに何十年も耐えに耐えて、にっこり笑える雅子陛下は、 本当に稀にみる強いお方です。ミテコさんは当時の東宮御所にスパイを送り込み、日常的に雅子妃を監視していて逐一千代田に報告していたようです。徳仁皇太子殿下の幼稚園からのご友人の著書にも書かれていますが、 東宮御所に上がると「雅子妃殿下は何時も誰かに見張られているような気がした」と綴っています。
ご友人が呼ばれて東宮御所に上がるのは、 両殿下は日々多忙な方ですからたまにの事でしょうからそれでも雅子妃が監視されている? を感じるのですから、 非常事態なのでしょう。ご夫婦揃って公務のできない酷い適応障害で苦しんでいる時期、況してや殿下の海外公務は数日御所を留守にしますので、玄関先で皇太子殿下を見送る雅子妃の、今まで見た事のない引きつった表情は留守の間の不安はピークに達していたのでしょう。宮内庁も殿下を息子と呼び、雅子妃雅子と呼び捨てにしていた時期とも重なりますね! 壁には雅子妃の陰口も書かれていたようで、 女官も侍従も誰も信用できない、残されたのは幼い愛子さまのみで、どのような状況下に置かれていたか想像に難い。
「ミテコ 秋篠宮夫婦、宮内庁関係者、仕える職員、内舎人 (オクと呼ばれる人)人々、全てが信用できない孤立していて、まともな人が一人もいない中で、 徳仁皇太子殿下は御所に雅子妃、愛子さまを置いて出発しなければならない、不安と後ろ髪惹かれる思いで海外公務をされていたのかと思うと心底心が痛みます。 ミテコ、秋篠宮夫婦は元々悪魔的要素を持ち合わせているのは、人ではなく動物よりも劣る非常にレベルの低い、人間の皮を被った大嘘塗れを平然とやって退ける神経は既に神の怒りを買い、そのしっぺ返しが既に出ています。
新年一般参賀に強引に出席したものの、姿は年老いた色付きメガネ(山根グラサンと言われている日本ボクシング元会長山根明の色付きメガネのこと) 女ヤクザの山根明によく似た風貌、秋篠宮夫婦が公務と称して地方に出かけるも、地元の役所の人から通行人に無理やり旗振りをさせられた、 横断幕を持たせて歓迎ムードを装って欲しいなどと暴露されています。巻いた種は必ずブーメランとなって帰ってきてますね!
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