
来月からいよいよ筑波大付属高校に通うことになる悠仁さまですが、同校卒業の『ある芸能人』が、悠仁さまが入学されることで発生する問題点について述べた内容が物議を醸しています。
今回はそちらについて書かれた記事を見つけましたので、紹介と詳しい解説をしていきたいと思います。
まず1つ目は、秋篠宮家が学習院を見限った理由について紹介していきます。
ここからは一部引用を含みます。
さて、悠仁さまが学習院ではなく国立高に進学したことを受けて、落胆の色を隠せないのは学習院大学の文系の教授です。
『予想していたとはいえ、正直、失望している」と、秋篠宮家への失望を露わにしながら、次のように述べています。
「悠仁さまがこれまで通われていたお茶の水女子大学附属は、高校では男子を受け入れていないので、学長を中心に学習院に来てもらえるかもしれないという淡い期待があったのです。
他の学校に比べて皇族受け入れの態勢がとりやすいという長所もあります。
しかし、これまでの経緯を思い起こすと、やはりそれは幻想に過ぎませんでした。
学習院関係者はこれまでずっと、悠仁さまの去就に振り回されてきた経緯があります。
最初のつまづきは幼稚園。
多くの関係者は当時、「学習院幼稚園に入るのは既定路線』と信じて疑いませんでした。
しかし、ふたを開けてみれば、秋篠宮家が選んだのはなんと、3年保育のお茶の水女子大学附属幼稚園でした。
その理由について秋篠宮ご夫妻は、悠仁さまに早いうちから同世代と触れ合う機会をつくるべきだということを述べていますが…。
正直それは学習院幼稚園でも出来ることですし、理由としては無理があると話題になったものです。
それでも、私を含めて周りの関係者は、小学校からは学習院に来るに違いないと思い込んでいました。
幼稚園についてはお茶の水女子大附属にしても、学習院にしても、徒歩で通える距離ではないので車での送迎が必要になります。
しかし、小学校は学習院のほうが圧倒的に近い。
秋篠宮邸のある赤坂御用地からは、目と鼻の先なのです。
にもかかわらず、その期待は裏切られました。秋篠宮さまはなぜ学習院と距離を置いたのか。
当時様々な憶測が浮上しましたが、一つはっきりとしたのは、この段階で学習院は避けようという秋篠宮さまの考えが分かったということです。
秋篠宮さまはご自身も幼稚園から大学まで18年間、学習院での学園生活を謳歌してきました。
初等科の小学校では、のちに妹・清子さんの夫となる黒田慶樹さんという親友もつくっています。
さらに大学では、伴侶となる1年後輩のキコさまとも出会われました。
長男ではなく次男という気楽さもあって、当時はかなり早い時期から那須の御用邸の周辺だけでなく、軽井沢の街中でも黄色いフォルクスワーゲンを乗り回すなど、気ままに振る舞っていました。
自由を知っているぶん、おそらく学習院では窮屈さを感じていたのではないでしょうか。
皇室ということで特別扱いをされたり、一般人に足を引っ張られては、悠仁さまの成長にもプラスにならないと考えたのかもしれません」
以上のようにとある文系教授は述べていますが、その後さらに学習院関係者を震撼させる出来事が起こりました。
学習院系列の同窓会である『桜友会』の理事は、このように述べています。
「当時は本当に衝撃が走りましたよ。
秋篠宮家が学習院長を出禁にしたという記事が『週刊文春』に載って、騒然となったのです。
秋篠宮さまが宮務主管を通して、当時の学習院トップの内藤正幸院長に、もう来ないでほしいと通告をしたのです。
内藤氏はそれまでたびたび、学習院の状況を報告しに秋篠宮家を訪れていました。
その後、秋篠宮さまは学習院長に最後通牒をつきつけました。
事実上の学習院との縁切り宣言に等しかったわけです。
そして今回、悠仁さまが筑附に合格し、『大学から学習院という選択肢もほぼ消滅した』ことになりました。
現在学習院大学には、天皇陛下の長女愛子さまが在学中ですが、今回の秋篠宮家の絶縁宣言によって、皇室と学習院の関係が一気に薄れていくのは避けられそうにありません。
以上が1つ目の記事の内容です。皆さんはどのように感じましたか。
基本的に皇族は社会に出て働くことがないのですから、学歴よりも身に付けるべき事があると思いますよね。
式典での対応や海外訪問、来客の対応などなど。。。
国を代表して挨拶をすることもあるでしょうし、国民はみんなそのように捉えていますよ。
歴代の皇族が続けてきたのに、研究が好きなら専門機関や有識者と語り合いながら知識を蓄えればいい思いますが、現在悠仁さまは何の研究をしているのかも分かりません。
その成果もないまま、『特別ルートで進学校に入りました」と言われても、正直誰も納得しないと思いますよね…。
では2つ目の記事に移ります。
さて、筑附高進学によって注目を集める悠仁さまですが、皇位継承者が学習院以外の高校へ進学となるのは、戦後初めてのことです。
それだけ歴史の転換にもなりえることをした秋篠宮家ですが、果たしてその選択は正しかったのか。
か筑波大付属高校に通った、元COCOのはねだえりか氏は、このように卒業生代表として想いを述べています。
「正直な想いを述べますと、戸惑いを覚えています。
悠仁さまは幼稚園から中学まで、ずっとお茶の水女子大附属に通われていましたし、筑附に皇族の方が入学されるイメージはなかったので大変驚きました。
もちろん筑附自体は自由な校風で、とても良い学校です。
私が言うのはおこがましいのですが、世間的に見れば悠仁さまはとてもいい学校を選ばれたのではないでしょうか。
しかし、その進学方法を巡っては疑問の声が挙がっていることも、国民が怒っている気持ちも分かります。
確かに難関と言われる一般受験を突破して入学してくる外部生は、当時から一目置かれてきました。
しかし、周知のとおり悠仁さまは一般受験を受けてません、そればかりかご本人のために作られたといわれる提携校進学制度を利用して入学してしまっています。
これでは、大変な思いをして一般受験を突破した生徒や親御さんが怒るのも当然なことだと思います。
さらに、悠仁さまが入学されたことで、今後小学校の競争率はさらに上がってしまうかもしれません。
また、同校は入学してからも様々な試練が待ち受けています。
附属とはいえ、小学校から中学へ、中学から高校へと全員が行けるわけではないんです。
私のような小学校から入学した内部生は、途中から受験して入ってくる悠仁さまのような外部生よりも、おっとりしているところがあります。
中学も自由でしたが、勉強するもしないもあなた次第という感じでしたから。
もちろん先生は厳しくは言いますが、やらなきゃやらないでいいという姿勢なんです。
当然、自由に甘えてのんびりしていると、成績は落ちていきます。
学校側は外部生を多く取りたいようで、進学の度に2割ほどふるい落とされるんです。
ですから、内部生は留年しないように、必死に努力をしているといった感じでしたね」以上が2つ目の記事の内容です。
秋篠宮ご夫妻は自由を好んで愛息子を入学させたわけですが、自由の裏には必ず義務と責任があります。
それを全うできなければ、ただのわがままになると思いますよね。
「やはり国立高に皇族特権を使って苦労せず入学したことはおかしい」
悠仁様の進学問題ですが、将来天皇になられる悠仁様は、不正入学を疑われるような方法で入学をするのは、将来天皇としてのイメージが、良くないと思います。
別に国民は、悠仁様が、高学歴でなくても、天皇として、恥ずかしくないような人間になって頂ければいいのでは、ないかと思っていますよ。
皇族の人たちが通う学習院ならば問題ないかと思いますが、何故、疑われるような学校を選ぶのでしょう。
悠仁様にとって、学習院へ進学するのが一番良いと思いますよ。
それなりの実力があり、一般学生と同じように受験をして入学されたのならば、問題は、ないかと思います。
将来天皇になられる人が、国民から疑われるような事をしては、イメージダウンですね。
天皇になられるのには、まず正直者でなくては、なりませんね。信用される人間になって欲しい。
これが天皇になれる近道ですよ。
最後までご視聴いただきありがとうございました。これからも皇室の気になるニュースをお届けしますのでチャンネル登録をよろしくお願いします。また次の動画でお会いしましょう。