皆さんどもお疲れさまです。どうぞよろしくお願いいたします。今回は皇室の最新ニュースをご紹介してしたいと思います。ぜひこのタイミングで今回面白かったとかためになったと思う方は評価とチャンネル登録いただけたら嬉しいです。
国内では眞子さんの結婚問題や悠仁さまの進学問題など、相変わらず批判を受けている秋篠宮家ですが、実は海外からも多くの疑惑の目を向けられている。ことをご存じでしょうか。過去にも、紀子さまの『ある大失態』によりスペイン王室から事実上の面会禁止を受けているようなのですが…。いったいどういうことなのでしょうか。今回はそちらについて書かれた記事を見つけましたので、紹介と詳い解説をしていきたいと思います。
まず1つ目は、悠仁さまの作文不正引用問題に関する話題をお届けします。ここからは一部引用を含みます。さて、ここ連日進学問題を取り上げられている悠仁さまですが、秋篠宮家周辺ではそんな吉報に、毎日祝福の声があがっていると言われています。しかし、合格が決定したまさにその日、悠仁さまのコンクール入賞不正疑惑が週刊誌で報じられました。
内容は引用元を明記せずに酷似した文章があったとのことでしたが、事態を重くみたのか 宮内庁もすでに説明会見を行うなど、対応は迅速なものでした。問題となったのは、「小笠原諸島を訪ねて」と題された作文です。小学校5年生の時に紀子さまと小笠原諸島を訪れた際の、豊かな自然や住民との交流についての思い出をつづったものでした。
悠仁さまは、昨年学校の夏休みの課題として、北九州市文学館が主催する「子どもノンフィクション文学賞」にこの作品を応募。結果的に中学生の部で佳作に入選し、表彰式にオンラインで出席もしています。同作文は、同館のホームページに他の人選作とともに今でも掲載されています。疑惑の目が向けられた不正についてですが、応募上の注意事項には次のような記載がありました。『他人の文章を手に使ってはいけません。
使う場合は、カッコで囲んだり、段落を落としたりして、自分の文章と他人の文章の区別がつくように工夫してください。また、どこから出いたかも必ず書いてください』仮に悠仁さまが意図的に引用元を明記せず、あたかも自らのオリジナル文章にすることを狙いとしていた場合、まさに不正だったといえるでしょう。宮内庁はその2日後、「引用元を明記せず、不十分だった』とすぐに事実関係を認め、主催者側への連絡を行っています。
さらに、『悠仁さまは、指摘に感謝なさっている」という、本人からの謎の弁明メッセージを公表しました。大手新聞やテレビ各社も、この「不正作文」の一件を全国ニュースで報道し、明るい合格のニュースもすっかり吹き飛んだ格好となってしまいました。まさにこの2月の吉報と騒動は、悠仁さまにとって大きな経験になったことでしょう。確かにこの「作文」騒動が、全国ニュースで報道すべきだったかという点は、賛否の別れるかもしれません。
しかし文章というものは、体験や調査、資料を元に思考を整理する作業が必要で、生みの苦しみを伴う書き手の「作品」でもあります。皇位継承順位2位の立場にある悠仁さまには、「指摘に感謝」だけではなく、用いた参考文献の著者に対して、ご自身で説明する姿勢も求められるのではないでしょうか。以上が1つ目の記事の内容です。皆さんはどのように感じましたか。
まさにこの記事をまいた著者の言う通りで、悠仁さまは『指摘を感謝する』なんて言ってる場合じゃなく、参考文献の著者に謝罪もすべきだったと思いますよね。一番いいのは、悠仁さまが「感銘を受けた作品を引用しましたが、引用をどう書くかが分からず、結果として誤解と不誠実な結果となりました。今後気をつけます』くらいのコメントを出せば、すぐに事態は収まったのでしょうが・・・。
もちろん今さらそんなことはしないでしょうし、自然に事態の沈静化を待つのでしょうね。では2つ目の記事に移ります。さて、長引く感染症のため、しばらくのあいだ皇族の公務は縮小傾向になると見られています。そんななか、すでに中止となった紀子さまの海外公務が二つあるのです。それが、オランダのアムステルダムで行われる予定だった、「母子手帳国際会議」とスペインで行われる予定だった「肺の健康世界会議」です。
しかし、内情に詳しい宮内庁職員は、「実は感染症が原因で中止になったわけではないのです」と、その裏話を次のように明かしています。『読売新聞1月1日号の社会面では、こニつの海外公務について『国際親善に力を入れる』と書かれています。その言葉通り、オランダ王室とスペイン王室との交流を深めるという真の目的がありました。紀子さまは、可能であれば悠仁も連れて行き、ロイヤル・コミュニケーションを深めたい』と仰るほど、意気込んでおられました。
ですが、何かと日本中をお騒がせしている秋篠宮家に対し、オランダ皇室からもスペイン皇室からも『秋篠宮家との交流は控える』という旨が出てしまい、紀子さまも大変なショックを受けていました。皇族同士の結びつきは非常にデリケートなものであり、バッシングのさなかにある秋篠宮家との交流は避けたいという思惑が、海外王室にも当然あったわけです。