上皇さまが美智子様の“お小言”にかけられた一言に一同驚愕…雅子さまや愛子さまへの態度やお引越し遅れや二重権威等の多くの国民からの評判も

上皇さまが生前退位され、天皇陛下が即位して今月で3年目に入りました。昨年の上皇さま87歳の祝賀行事は新型コロナウイルスの感染拡大で国民の生活が一層厳しくなっていることから、全てお控えになりました。宮内庁によりますと、上皇さまは新型コロナウイルスの日々の感染状況を注視し、関心を向けられているそうです。上皇さまの体調については特に異常はなく、年齢からくる勘違いがあれば、 美智子様と笑いながら日々を穏やかに過ごされているそうです。
その上皇さまが、美智子様にかけられたという言葉に、称賛の声が上がっています。一体どういうことなのでしょうか。その内容と合わせて、これまでのお二人の歩みなども一緒に紹介していきます。ぜひ、コメント欄にあなたの感想を記載してください。天皇皇后両陛下は今月12日、熊本県と鹿児島県の小学校などをオンラインを使って視察なさいました。微笑まれていました。「こどもの日」の前後に、子どもの施設を訪れるという上皇さまから引き継いだご公務で、天皇陛下は、 ICTの活用が非常に有効であり、公務にもいろんな可能性が広がっているように感じたとおっしゃいました。コロナ禍における水防災についての国際会議でした。宮内庁は当初、オンラインでの公務は「両陛下のお気持ちが伝わりにくいのでは」と危惧していたようですが、運用を重ねるうちにオンラインの有用性について認めているようです。天皇陛下と雅子さまは今年、九州の豪雨を受けた被災地と東日本大震災被災地の見舞いをオンラインで行われました。
オンラインでの被災地訪問は、現地に足を運ぶ交流と比べ、限定的な交流になってしまう一方、交通の便が悪く、両陛下が訪れることが難しい場所の被災者らと交流できるというメリットもありました。このように天皇陛下と雅子さまは上皇ご夫妻から天皇・皇后の責務を受け継いで2年、両陛下は令和の天皇・皇后として立派につとめを果たしておられるようです。それを見守っておられるという上皇ご夫妻。 上皇さまと美智子様はどうやって出会われたのでしょうか戦後になって、皇太子のお妃を皇族や華族から選ばなければならないという皇室典範は廃止されましたが、それならどうなるかというと、宮内庁などの関係者がしかるべき女性を選出するということになりました。そのお妃選びですが、ある時期、その候補者の数が800人にものぼったりと、大変難航しなかなか適任者が 見つかりませんでした。やはり皇室に嫁ぐとなると、当時は旧皇族旧華族の適齢期の女性が有力とされていました。候補の中には元皇族で北白川宮永久王と永久王妃祥子さまの長女である島津肇子さんも挙げられました。そして昭和32年のある日、上皇さまはテニスで負けてしまいました。上皇さまは、後になって、このとき勝った相手チームの1人が、日清製粉の社長令嬢、美智子様であることをお知りになりました。美智子様は聖心女子大から宮内庁へ、お妃相手として推薦をされていたのですが、いわゆる旧華族や皇族ではないため最終的にはリストから外されていたのでした。
宮内庁が相手選びに頭を痛めている中、上皇さまと美智子様はテニスを通じて交際をゆるやかに深められていました。翌年になって、一向に決まらないお妃選びでは、選考の範囲をその際、上皇さま自身が、美智子様を候補者に加えることを希望なさったといいます。正田家は、家柄が違うといって頑なに辞退しましたが、なかなか首を縦に振らない正田家になんと上皇さまが自ら直接、美智子様と電話で話し、思いが通じ、正田家は昭和33年11月13日、受諾の返事をしました。皇室典範の改正のために、皇族や旧華族ではない民間人が初めて皇太子妃になるということで、国民は大盛り上がり。週刊誌には「世紀のご成婚」などの見出しが躍り、美智子様が着用した服装などはお二人は、天皇陛下に即位後、全国を2巡するほどの公務に励んでこられました。平成の日本は、阪神大震災、東日本大震災など、数多くの自然災害に見舞われましたが、お二人で被災地を訪ね、被災者の方々に励ましの言葉をおかけになっていらっしゃいました。震災発生直後から「早く見舞いたい」というお気持ちを抱かれると同時に「救援や復旧活動に務めている関係者の支障になることは避けたい」と、現場で活動する人々の立場もよくお考えになりました。訪問した際は、お二人が避難所の床に膝をつき、国民と目を合わせながらお見舞いの言葉をかけられる様子が取り上げられ、話題となりました。「国民と共にある天皇」という、象徴の立場への理解を求めると共に、国民に対する理解を深めることを
大事にしてこられた上皇さまの姿勢がまさに表れている光景でした。2019年2月24日の在位30年の式典では、お言葉を述べる上皇さまが、原稿を間違え、訝しがっているところを、かたわらの美智子様が正しい順に原稿を整えられました。このとき、上皇さまは美智子様に
「どうも」と軽くお礼をおっしゃいました。二人の強い絆や、美智子様あっての上皇さまだと国民が様々なことに気付かされたバッシングにより、失語症になったことがありました。美智子様がご病気になられた原因に女性週刊誌を中心とした美智子様へのバッシングがあげられました。「皇后の役目はダンスでも災害地の見舞いでもない」「皇居の奥で祈るだけで良い」といった、美智子様の公務のあり方に対する批判が書かれ、そのうえ皇太子妃決定の過程関連に関して半ば誹謗中傷のような内容が報道されたといいます。ご病気の最中、 美智子様がお誕生日に発表されたコメントには「批判の許されない社会であってはなりませんが、事実に基づかない批判が繰り返し許される社会であって欲しくはありません。」と切なお気持ちが記されていました。平成時代の皇室に対する保守派からの批判的な気持ちがこのような報道を引き起こしたようですが、中にはお妃として選ばれなかった旧勢力から天皇家に嫁いだ美智子様への私的な恨みが、 報道として現れたのではないかという意見もあります。
この記事皆さんはどう思われましたか。ではこのニュースを見た人々の反応を見ていきましょう。
現在に至る美智子上皇の話は事実だったとは驚きです。何かオランダ王族の問題とも関係あるんでしょうか。
天皇は政治そのものです。一応行政の長である「総理大臣」なんか比較になりません。
現天皇・皇后は非常に賢明に国際政治に対応されていると見受けられると思います。雅子皇后の助言もあるんでしょう。マスコミには出ないですが、日銀の黒田も呼び出して話をうかがっている画像を見たことがあります。非常に大事なことです。
実質世界の王族の支配者のイギリス王室、アン王女から「プリンセス・アイコ」についてエリザベス女王へ話をしている画像を見たことがあります。「プリンセス・アイコ」は非常にIQが高く「頭がいい」という話をしていて、エリザベス女王がすごく喜んでいましたね。
低レベルの「眞子」国際○大学のなんとかの話はもうやめてほしい。きみらは国民の税金で生活しているわけで自分で金かせいでごらん。次元が違いすぎる。
もし結婚となれば皇室の権威、崇拝はなくなり皇室は終わり、日本はどうなるでしょう。
平成の頃は上皇夫妻は理想の夫婦だと伝えられていたのに……..
こんなの見ると悲しくなる……..
美智子様を応援していましたが、同じ立場の雅子様や、天皇家のただ一人のお孫さんの愛子様を、虐めたり冷たい態度をとられるのには、裏切られたような気持ちで残念です。
美智子さん、あなたがしてきた事実です、今の批判があるのは、雅子さまに、何をしてきたか、お分かりですか、?、仮病使わず、考えてください、雅子さまは、素晴らしい皇后様ですよ
美智子様は、嫁いびり?(失礼なお言葉を申し訳ありません)などなさらないお優しい方と信じておりましたのに、雅子様には特にお酷く感じられます。ご自身も民間からで辛い思いをされたろうに、同じ…いえもっとお酷い事をされてると、落胆しました。どうか皆さん雅子様をお守り下さい。
宮内庁長官は仕事ができない元警視総監なのか。 警視庁は電話交換組織、公文書情報公開組織、広報広聴組織も同様、電話連絡を妨害して,監察官等への取次ぎを訳のわからない因縁をつけ妨害し、殆ど通話ができない、首都東京ではタクシー業界癒着の警察組織、請願、陳情等の妨害、交通犯罪免責事件が多発している。妨害も多発させた警視総監等の責任者も含めて前記同様の公文書を開示されたい。検索 公務員・企業犯罪・告発の会
身近に見ている人が言うことだけに、ミテコ様の性格の変化は、確かにあるのだろう。
「老害」という言葉があるが、歳をとると、若返り(幼児退行)や理性的な行動が取りづらい、などの症状が出やすくなる。
ミテコ様も、皇太子時代の上皇に自分が居た世界とは違う場所に連れてこられ、要らん苦労もしたんだろう。
姑問題や宮内庁職員、マスコミからのバッシング等と戦い続けたせいで、宮中のやり方にマイナスの拘りがあるのかも知れない。
一度、ミテコ様も詳しく検査してもらった方がいいのかも。

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